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牧師の雑記 - 最新エントリ

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牧師の部屋 《イスラエルからのニュース》・・・石堂ゆみ 2013年04月14日

イランの原子力発電所のあるブシャーラから90キロの地域で、9日17時ごろ(現地時間)、マグニチュード6.3の地震が発生した。この地震で、これまでに死者30人、負傷者800人以上と報告されている。
BBCによると、家屋700軒が全半壊。200家族が被災しているという。現在も救出活動が行われており、まだ犠牲者は増えるとみられる。イラン政府は、唯一の原子力発電所が震源の100キロ圏内にあったが、原子力発電所に被害はなく、通常に稼働していると伝えた。
イランでは2003年にもバムで大きな地震があり、25000人が死亡している。

なぜ、イスラエルか・・・
私たちがイスラエルと言うとき、それは現在の国家としてのイスラエルを指しているのではない。神によって選ばれ、全世界の人々のための救いの道を開くために、用いられた民族だ。 その歴史の中に救い主が準備され、贖いや信仰の在り方が教えられている。私たちにとっては切っても切れない存在だ。聖書のほとんどはイスラエルに関してである。だから、イスラエルを知ることは神を知ること、イスラエルを見つめることは未来を知ることになる。

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牧師の部屋 「ともに歩まれる主」 2013年04月14日

エマオ途上の二人の弟子は、夫婦であったのではないかとも言わ
れている。事実はわからないが、私たちが知るべき大切な事実だ
けは、しっかりと残されている。それは、彼らとともに主が歩ん
でおられること、そして、聖書の中からご自分について語られて
いることだ。彼らはイエス様の生き方を見ながら過ごした弟子で
あり、多くの群衆をわずかな魚やパンで養われた奇跡や、色々な
ところで主とともに食事もしたのではないか。それなのに彼らの
目はさえぎられており、イエスさまに気付かなかったという。
「こんなところにおられるはずがない。」という彼らの信仰?の
結果でもあるが、さらに大切なことが教えられているように思
う。それは、「見えるか見えないか」よりも、「わかるか、わから
ないか」ということ。そして、聖書という、今私たちのだれもが
手にできることばを通して、イエスさまを知ることなのだ。
聖書を読みながら、聞きながら「心が燃える」という体験ができ
る。何と幸いなことか。見えなくはなったがおられなくなったの
ではない。失望や迷いの中に歩む私たちのそばにいてくださる。

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牧師の部屋 《イスラエルからのニュース》・・・石堂ゆみ 2013年04月07日

◆メールでのオリーブ山便りに加えて、4月4日からCGNTVでもニュース番組として、オリーブ山便りが始まる。時間は約5分で、イスラエルからのニュースと現地の声、祈りの課題となります。
イスラエル北部ハイファ沖130キロで、2009年に発見されたタマル天然ガス田が、30日からイスラエルに向けて液体ガス(LNG)を供給し始めた。 軌道に乗れば、イスラエルは食料に加えてエネルギーも自給率100%になる。    
現在、イスラエルの電力は40%が天然ガスからの発電で、これまですべてエジプトからの供給に頼っていた。
しかし、パイプラインがテロで破壊されたり、エジプト政府がガスの配給を停止したりするなどで、供給が不安定だった。電力需要が高まる夏には電力不足に陥ったりしていた。今後そうした心配はなくなる。現在イスラエル政府の財政は危機的ともいえる状況だが、このガスが、イスラエルに年間130億シェケル(3250億円)の収益をもたらすと予測されている。
タマル・天然ガス田は埋蔵量が豊富で、イスラエルは世界第7位の天然ガス産出国になるという。将来的にはガスの販売もありうる。・・・食料、エネルギー自給率?祝福された民です。

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牧師の部屋 「謙虚」 2013年04月07日

謙虚ということばが好きで、そういう自分になりたいと願い続けている。しかし、程遠さを感じることが多い。
常に人に優しく、思いやり、批判せず、暖かく見守る。人から褒められるときにも決して高ぶらないへりくだった思いを持っていることと思ってしまう。

★素直な心からは謙虚さが生み出され、謙虚さから人の話に耳を傾けるという姿勢が現れてくる。(松下幸之助)
★称讃された時ではなく、叱責された時に謙虚さを失わない者こそ真に謙譲な人間である。(ジャン・パウル)

真の謙虚とは、自分の弱さや罪が指摘され、自分が思いやられず、
批判され、人から捨てられた時に、それでも自分を保ち、人のこ
とばに聞き、人を受け入れるということだ。
人への思いや行動というよりは、自分への行動や思いにどう反応
するかで自分の謙虚さが示される。罪人呼ばわりされ、苦しめら
れた十字架は、イエス様の謙虚な姿を明らかにしている。

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牧師の部屋 《桜に学ぶ》 2013年03月31日

今年も土手の桜が咲いた。順番に咲いていくのだが、今年は通称「さやちゃんの桜」が非常に美しい。外にいると、何人かの人から声をかけられて「梅ですか?桜ですか?きれいですね。」と言われる。わざわざ近くまで見に来られる方があって嬉しく思う。これからソメイヨシノが咲き、八重桜が咲く。
バス停の近くには、山崎姉の息子さんからいただいた苗を植えていたが、今年やっと少しの花を咲かせてくれた。白い色に近いきれいな花びらだった。散布される除草剤に耐えながらよく育ってくれたと思う。そういえば、昨年水仙を土手に植えたが、これも除草剤に負けないで少し花を咲かせていた。
大きな桜の木は、地中深くに根を下ろすことが出来、もう除草剤には影響されないでこれから育ってくれるだろう。
私たちも、さまざまな苦しみや戦いに悩まされているが、しっかりとそこに立ち続けていこう。イエス様の中に根を下ろし続ける時、みことばに立ち続ける時、必ず、災いと思われることに、振り回されない生き方ができる。

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牧師の部屋 無題 2013年03月31日

「死んだら終わり。死んだら生きられない。死んだら生かせない。」
これが普通のこと。ところが聖書は違う。イエス様の十字架は、「死んでも生きる。死んだら生きる。死んだら生かせる。」のである。この方が死なれたことは、考えられないような変化を生んだ。人が変わり、国が変わり、世界が変わった。
それは、よみがえられ、信じる者を生かすことができるからだ。どれだけ多くの人たちが、長い歴史の中で人生を変えられ意味と生きがいのある生き方を見つけ出してきただろうか。
2000年前の一つの出来事がこれだけ影響を与えることができるのは、死んだ方が人間ではないからだ。この方は神であり、また神の独り子。罪のない方なのに、私たちの罪を背負って死なれた。だから、私たちに真のいのちを与えることができる。
人が心底探し求めているものは、そんなに遠くにはない。
気が付けばすぐそばにあるものだが、それぞれが思っているものとは形が違うらしい。形ではなく・・・中身。

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牧師の部屋 《卒業式》 2013年03月24日

今年も神陵台小学校の卒業式に出席してきた。51名のこどもたちが卒業してゆく。一人一人の名が呼ばれると講壇に上って、自分の将来について大きな声で発表した後、校長先生から卒業証書を受け取る。もう22年間も出席していることになるが、変わっていない。整然とした式典が行われるのだ。立ったり座ったりが規律正しいのは、西洋の人たちが見たらどう思うだろうと思いながらも、やはり大切な姿勢だと思う。そのこどもたちの態度に感動もする。
この一年、51名の中でどれくらいのこどもと接したかと数えてみた。教会に来たか、声をかけあったこどもは26人いた。それでも残念でならない。出来れば全員が教会に来てくれるか、話しを出来る子でありたい。最後に何曲か歌ってくれるが、本当に美しくて感動した。今年の地域でのクリスマスコンサートの時に、この子たちをステージに上げたいと思っている。音楽担当の先生も楽しみにしておられ、こどもたちのためにも実現させたい。門送りのときには、何人もの家族と話が出来た。親と話せるいい機会である。

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牧師の部屋 クレメンソン先生追悼記念会 2013年03月24日

初めてお会いしたのが1972年4月19日水曜日。今でもこの日のことはしっかりと覚えている。そして23日日曜日、涙と鼻水でぐしょぐしょになりながらイエス様を迎えた時、すぐに来て喜んでくださった。曽山先生はローマ書8章の御言葉カードをくださった。この先生方や兄姉とともに生きることができることを感謝しながら教会生活を送っていた。
4年後神学校へ行ってからは「え〜!」と思うほどに変わられて、厳しくなられてしまった。新しい人にはあんなに優しくされるのに「なぜ?」と思った。多聞で開拓をするようにと言われて始まったが、電話で怒られることが多く、黒電話の音に恐怖心を感じ、電話を優しい音のものに変えたが一緒だった。不条理に感じてしまうのだが決して口答えが出来ない。それでも、愛があふれる瞬間もある。この40年、先生とともに歩めたことを感謝している。あの氷上の地で、不自由な足を引きずりながら歩いておられる姿が思い出される。最後まで日本に留まり、人々が救われることを祈られた。今日は蒔かれた種が結んだ実を見る。「キカワさ〜ん」

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牧師の部屋 《ピアノ》 2013年03月17日

先日、聖隷福祉事業団の施設長が「家にピアノが置いたままになっているのですが、だれか必要な方はおられませんか。」と言われた。すぐに近所に住んでいる中学生のKちゃんを思い出した。ピアノが好きで、合唱コンクールでも弾いていたが、家では壊れたキーボードで練習していると言っていたからだ。「そんなお世話までしなくても…」と言われるかもしれないが、聞いてみた。一度見たいと言われたので双方と打ち合わせをして、そのマンションに母娘をお連れした。
その場で感触を確かめるために弾いていたが、とても素晴らしい演奏だ。後日連絡が入り、いただきたいとのことで、近く搬入されることとなった。生ピアノが欲しいと願っていたKちゃんや、そんな中学生に引き取られたことを喜んでくださった施設長を見ながらこの巡り合わせを感謝した。
以前「教会で小さなリサイタルを開こうよ。」と誘ったことがある。そういう場所を提供できたら励みにもなるし教会が近くなる。これも福音をお伝えできる機会になるかもしれない。 だれか進めてくださいませんか?

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牧師の部屋 申命記 32章39節 2013年03月17日

わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。
申命記32:39

生かすこと、いやすことが愛だということはわかるが、殺すこと、傷つけることが愛だとは一般的にはなかなかわからない。しかし「また」が付くと、前者が過程で後者が結果であり、その目的は愛を知らせることだということがわかる。つまり、原因、動機のすべて愛なのだ。
神のなさることのすべては愛から発している。放蕩息子は、失うものが多かったが、得るものは大きかった。まったくのわがままな生き方によって、父の財産の半分を失った。それは、自分が持つべき財産のすべてを失ったことになる。兄は反対に受けるべき財産を確実に増やしていったことだろう。そして、ついに父親から「私のものは全部お前のものだ。」と言われるほどになった。しかし、自分の姿とともに父の愛の大きさを知った弟とは違って、父の心を知ることは出来なかった。(少なくともこの時点では) 。ここのテーマは異邦人と選民との関係で、神は分け隔てなくすべての人を愛しておられることも表わされている。このたとえからも多くのことを学ぶことができる。これが聖書の不思議である。

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